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2006年再始動
 05年を皮切りにその後もJPC東北・北海道選手権を鶴岡市で継続して開催する予定を立てているうちに・・・気持がプチ隠居のような状態になっていた(わしもそろそろ・・・みたいな)。
 これからは大会の開催や指導に力を入れていこうという考えが頭の大半を占めるようになっていた・・・そんなとき、またもや「あなたの筋肉はまだ発達するから現役を続けなさい。それができないでGYMは成長しません」という声が聞こえた。
マジで!大会を開くのには最低でも3ヵ月は掛かる。おまけに自分も大会に出るとなると時期が重なってしまう。仕事だって忙しいし、歳だって40を超えている(この神様ボディビルをよう知らんな)。
 実際、大会も(東北・北海道)開催して、大会(マスターズ・ナショナルズ)にも出場するなんことを聞いたことがない・・・寝る時間もないじゃないか ⇒ 寝るなってことか? ⇒ 寝る時間を削ればできるってことか? ⇒ できる可能性があるってことか? ⇒ できるんならやってみよう(天才なんだから)。ということで、いつの間にか自分の限界に挑戦してみよう企画になっていた。両方できたらかっこいいじゃんくらいの発想だ。
 会員の良幸がノービスクラスに出場することから、同日開催のマスターズクラスに出場することにした。この大会と私が開催する大会との期間は一ヵ月もない。減量と大会準備を同時に取り組むという荒行に取り組むことになる。
 自分の負担も考え、06の鶴岡での大会は前年の内容を踏襲(とうしゅう)することに当初はしていたのだが、「同じことをするのは無意味なこと」という悪い癖が出始める。
今回取り組みたい内容。それは盛り上がりだった。
 実は、前年の大会の最中、本審査が長時間になることから観客が少しずつ飽きてくるのを感じていた(選手の体は賞賛するに値するレベルだったのだが)。ボディビルのコンテストは確かに同じことの繰り返しで変化が少ない。これで「盛り上がろ」と言う方がおかしい。これを変えたい・・・つまりボディビルの大会の流れそのものを変えてみたいと考えていた(大胆だ)。
だって微力でも無力じゃないでしょ

| 筋肉への目覚め | 17:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年再始動
 06年、年明け早々、私の元に県連合会から農業共済新聞地方版最優秀賞受賞の知らせが入った。これは全国各地の農業共済組合から寄せられた地方記事について、一年間の掲載数、掲載内容等から全国農業共済協会が選ぶもので、広報担当者としては光栄な賞になっている。
 ただ、これを受賞すると、表彰式だけではなく数百人を前に30分ほど体験発表をしなくてはいけなくなるのだ(東京虎ノ門パストラル)。
 大勢の前で話すのは苦手だ(しかも共通語)。それも30分・・・トレーニングなら一時だが、30分も続く緊張・・・耐えられるのだろうか。
 それでも出張で東京に行ける ということは、月刊アイアンマンや月刊ボディビルの編集部、それにゴールドジムやサンプレイといったGYM。その他にも中古マシン取り扱いの店・・・に行けるってこと(もちろん出張の規定外は自腹)。ボディビルがからめば全て肯定。早速発表原稿作成に取り掛かる(頭の中はボディビルツアー)。
 東京に着くなり恒例のサンプレイでのトレーニング。その日はK1の小比類巻選手がトレーニングしていて、ミット打ちも拝見することができた(記念撮影)。その後、ゴールドジムイースト、ZAOBA(マシンがぎょうさん並んどる)。翌日はボディビル専門誌の編集部にお邪魔しお勉強。前半の2日間はボディビル漬けの状態だった(幸せを漢字で表現したら「筋肉」)。
 3日目からは本題の体験発表モードを切り換えなくては・・・準備してきた原稿を何度も何度も読み返す・・・練習すればするほど本番をイメージし過ぎて緊張してしまう。あぁ こんなんで本番大丈夫かなとホテルの部屋の天井を眺めていたとき、「そんなに早口では、伝わるものも伝わりません。もっと自信を持ってゆっくりゆっくり話しなさい」という声が(筋肉専門じゃなかったのか)。
 翌日、私は錦糸町の駅前の横断歩道橋で原稿を持って立っていた(通勤真っ盛り)。目の前にいる何千もの人たちの前で堂々とゆっくりと原稿を読み上げることができれば明日の発表は勝ったも同然。本番じゃないんだから失敗したっていい・・・これは経験なのだ。
 しかし東京は人が多い(人酔いしちまいそうだ)。「ビルパン一つでステージに上がることを思い出したら、ここで原稿を読むくらい大したことではない」と自分に言い聞かせ、ゆっくりと原稿を大声で読み上げていった。通行人が見る見る(視線を全身に感じる)・・・大半は変な宗教か、気の毒な人だと思って通り過ぎているのだろう(こっちは明日本番なんだよ)。原稿を読み上げ一呼吸・・・じゃもう一回・・・結局3回練習してしまった(捕まることもなく)。
 おかげで翌日の発表はほぼ完璧にできた(人が足りないくらいだ)。授賞式を終え祝賀会に入ってから、横断歩道橋トレーニングの話しをしたら方々で「大うけ」していた。
小比類巻選手とオイラ小比類巻選手と私・・・思いのほか身長の高い人だった。少々恐縮気味で写ってしまったのは、「テレビに映る人=すごい人」とついつい思ってしまう習性からだ(私だけではあるまい)

失敗を先に意識してしまうと行動できないものだが
| 筋肉への目覚め | 16:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
小倉さんの心遣いに涙
 鶴岡市での大会には、健康体力研究所さんやストロングカンパニーさんから協賛品としてサプリメントをいただいていた、入賞した選手たちは現物支給に大喜びだった(プロテインは筋肉の源)ご協力ありがとうございました。

 実は、そのほかにもスパイラルシステムの小倉さんから個人的にサプリメントが届けられていた。
 スパイラルシステムからサプリメントを購入したのは98年ごろ。その際、小倉さんからはサプリメントについてのアドバイスをいただいただけでなく、海外のサプリメント事情や、子供たちの体の発達、東京のボディビルの近況など・・・多くのことを教えていただいた。
 2・3行の私の質問に対して、いつも小倉さんの返答は手書きでA4用紙びっしりに書かれてあった・・・(一人一人にこんな対応していたら体がいくつあっても足りないはずなのに、小倉さんはいつもいつも・・・・)
 私がJPCノービスクラスで優勝したときはこちらが恐縮するくらいに喜んでくれた。「世界を目指して・・・」とビックリするようなことも書いてあった。
 あんなにお世話になったのに、私はある事情によりGYMで取り扱うサプリメントを他社へ変更してしまった(とても心苦しかったことを覚えている)。あれから3年以上も経っているのに・・・小倉さんは私との約束、「いつかは地元で大会を開きます。そのときはサプリメント協賛でお願いしますね」・・・この約束を小倉さんは忘れてはいなかった。
 JPC青森の堀井さんから伺った話だと、小倉さんは数年前に体調を崩し、今では東京を離れ自然豊かな土地で療養中とのことだった。
 そんな小倉さんが、3年以上何の連絡もしていなかった私との約束を守ってくれた。その気持ちを思うと・・・言葉がなかったです(一度もお会いしたこともないのに)。
 いつか直接お会いして小倉さんにお礼を言いたい・・・せめて、私の活動が風の便りでもいいから小倉さんに届いてくれていることを願っている(今度は私が約束を守る番です)。
      創作筆工房「熊吉」の熊のイラストは、小倉さんのお気に入りの熊でした。
小倉さんへどこにお住まいなのかもわからないので、この場を借りて
| 筋肉への目覚め | 14:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005東北・北海道ボディビル選手権(その参)
 事がでかいだけにGYMコン以上に緊張して当日をむかえた。スタッフと早朝から会場設営の準備に入る。
 会場入りすると、400人分の観客席がやたらと広く見えた。ここから鶴岡のボディビルがはじまるのだ・・・気合が入る。
 まずはスタッフ全員で壁や床が選手のボディーカラー(体に油は塗らないのだ)で汚れないように養生していく。その他にも、受付の準備、照明の調整など、スタッフ全員が一生懸命に動き回ってくれた(ボランティアなのに・・・感謝)・・・内のGYMの選手も手伝ってくれた。
 昼前になると、県外の選手たちが受付に集まってきた。この選手たちが今日の主役なのだ・・・上澤会長のキングポートヘルスジムの滝田さん、佐々木さん、宮古さん、北海道の木原さん、高橋君、酒田市のズポーツジムケンの藤原君、そして私のGYMの猛、大川、敬喜・・・よくぞ参戦してくれた。
 諸々の準備も完了し、後は開場時間を待つだけだ。スタッフはトランシーバーを握りしめながらその時を待った。
 午後1時、会場の扉が開かれる、少しずつ・・・本当に少しずつ、来場者が現れる・・・大丈夫なのか(お客さんは来てくれるだろうか)・・・ボディビルが普及していないという現実・・・70人ほどしか入っていない(400人以上入るところに・・・GYMコンのときよりも少ない)。
 地元で開催するのはまだ早かったのかな・・・と凹みそうになったとき、またもやあの声が「今日はボディビルを普及する第一歩の日でしょ」・・・そうだ、今日来てくれたお客さんは鶴岡でボディビルに接した最初の人たちなんだ、この人たちからボディビルを楽しんでもらわないでどうする(気合満タン)。
 選手が入場するまでボディビルコンテストDVDを上映し、来場者に筋肉に慣れてもらう(楽しんでもらう)。開会5分前には、映像を交えながら審査方法について説明、そのほかボディビルには欠かせない掛け声についての説明とご発声のお願いもする。
 ついに(とうとう)開始時間。ステージ上に設置した大スクリーンに入場イメージの映像が映し出され、激しい音楽が鳴り響く中、選手たちが登場。私はマイクを持ちそれぞれの選手を紹介する(プロレスの入場シーンを思い浮かべてください)。全選手がそろうと会場からは多くの声援が送られた(掛け声の練習が生きてる)。選手たちが努力して作り上げてきた肉体は、知人友人でなくとも観る者すべてに感動を与えるのだろう(ボディビルってすごいぜ)。
 記念すべき鶴岡市での第一回ボディビルコンテストの優勝者は、脅威の大腿部(太もも)を持ち、フリーポーズ(自選の音楽にあわせて自由にポーズをとる)を披露(これぞボディビルの真骨頂)した榎木猛が優勝した。観客の誰もがボディビルの迫力と表現力に驚いているのを肌で感じる(後ろを振り返ると人が増えていた)。観客の気を感じているのだろうか毛穴が開く(ドキドキ)。
  成績発表と表書式を終え、大会終了を告げるとき、私は無意識の内に立ち上がり観客の皆さんに頭を下げていた(ボディビルに接してくれてありがとう)。
 その後の打上げでは選手スタッフともに「酔った」。安堵感が酔いを促進するのか・・・私を本当に酔った(ピッチャーでがぶ飲み)。直行が「大成功でしたね」と言ってくれたのが嬉しい(ありがとう)。
 翌日酔いが醒めると、今回の反省点をすべて書き出し翌年の準備に取り掛かっていた。
20052005鶴岡市にボディビルを伝えた選手たち

榎木猛優勝したクワジラ榎木猛

今日は明日のためにある

| 筋肉への目覚め | 19:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005東北・北海道ボディビル選手権(その弐)
 大会開催に向けて、まず取り組んだのが会場の選定。これは以前から大会開催の視点で、施設内のレイアウトや観客の収容数、それに選手控室の確保等を、職場の研修会などの際に利用した施設を物色したことが(不審なことはしていない)ここで生きてきた。
 鶴岡市内の施設の中でもベストと思われるのは「鶴岡市中央公民館」。早速、直行から問い合わせてもらい申し込み手続きに入る。初回ということもあり、申込書のほかにも団体活動の内容・イベントの内容等細かな書類を提出しなければいけなかった(当たり前といえば当たり前)。
 すべての作成し申し込み手続きを終了しても、開催日程が他の団体と重複した場合は抽選になるというシステムには正直驚いた。選手は減量に3〜4ヵ月は掛かるので、日程が確定する期日から逆算すると必然的に7月末から8月の開催になる。
 以前開催したGYMコン会場とは違い、会場費、備品使用量、冷房費等々の金額も大きい・・・気を引き締めて取り掛からねば。
中央公民館ここが東北・北海道ボディビル選手権の会場「鶴岡市中央公民館」


 次に参戦者を集うために、上澤会長から「アイアンマン」や「月刊ボディビルディング」へ大会開催の掲載依頼をしていただいた。
 また、ポスター等は掲示を断る店が多かったので(悲しい現実だ)、知人等に直接わたせるよう葉書サイズの物を作成。もちろんチケットやパンフレット会場入口に貼り出す看板といった印刷物は今回もすべて自作でまかなう。(自分で作ってないのはメダルくらいのものだ)。
 審査員については上澤会長を審査委員長にお願いし、他はGYMの会員から選出。スタッフは大会に参戦しないGYMの会員と親戚に依頼した。その他、詳細についても事細かに計画し(タイムスケジュールなどは正に分刻み)、準備には万全を期したつもりだったが・・・現実はそう簡単ではなかった。
 特に大会出場の申込みが少ないのには驚いた。GYMのメンバーを入れてもわずか9人しか申込みがこない(想定外も想定外)。あわてて杉田会長や上澤会長から過去JPCの大会に出場した人たちを紹介いただき方々に手紙を書いたり、電話連絡を入れてみたが・・・それでも選手は集まらない。東北に生息しているビルダーは開催を知らないのか?専門誌を見ていないのか?心の底から不安になっていった(これは半端なものではないのだ)。
 スタート時点では、障害もなく真っ直ぐに見えていた大会までの道のりだったが、実際に歩いてみると見えない石(障害)がゴロゴロ。歩みを進めるごとにそれらに引っかかったりぶつかったりする。「選手は集まらない、観客も来るかどうかわからない・・・何のために誰のために開催しようとしてるのか・・・」と正直投げ出したくなったこともあったが、ここで筋肉の神様が「あなたが開こうとする初めての大会に、9人も選手が集まってくれたじゃない(女神ですから)」と言うではないか。私の考えは一変する・・・基本(初心)に返ろう。
 いずれ、日本一とよばれる(はずの)大会の船出はこんな感じだった。
目標に
| 筋肉への目覚め | 14:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005 東北・北海道ボディビル選手権ついに鶴岡で開催(その壱)
 ついに2005年、ご当地鶴岡市でJPC東北・北海道ボディビル選手権を開催することになった。
 昨年から考えてきた私の草案を会員の直行と練り直す(直行の協力がなければ大会が開催できないほど、彼の存在は大きいのだ)。
 初の本格的大会のテーマは・・・
その壱・選手が参戦したくなるような大会を開く」・・・東北にいるホームトレー二―がこぞって出たくなる大会!ビルダー的に出たくてしょうがなくなる大会!を開こうと思った(もちろんGYMに通っているビルダーも大歓迎)。
その弐・経費をできるだけ掛けないでボディビル選手権を開催する」・・・これは、この大会が東北各地の小グループでも開催できるようになればという思いから挑戦することにした。当然協賛金を集めることなどしない。当日の入場料のみで大会を開くのだ(大きなカケですが)。
その参・既存の大会の流れに囚われないで、自分が理想とする大会を開く」・・・これはGYMコンの時と同じで、やるなら自分のやりたいようにやりたいという気持を大事にする。
その四・ゲストはよばない」・・・当日参戦した選手がかすんでしまうようなことはしたくなかった。大会で優勝した選手が、来場者からその日世界で一番優れているビルダーとして賞賛されるために、ゲストは不要と考えた。
その五・ボディビルを一般の人たちから楽しんでもらう」・・・これこそ、永遠のテーマ。ボディビルを広く知ってもらうために、また、ボディビルの魅力を伝えるために、ボディビルを知らない一般のお客さんでも楽しめる内容にする。
 これらのテーマに沿いながら大会準備に取り掛かる・・・かなり大きなテーマ(目標)だが、妥協はしたくなかった。
でかい的なら見失わない

| 筋肉への目覚め | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヤンとの別れ
 04年、目覚しい活躍をしたヤンヨンスーが家族と一緒に日本を離れることになった。ヤンは一旦韓国へ帰国した後、親御さんの仕事の関係でマレーシアに行くとのこと(現在は韓国に戻っている)。
 トレーニングはもちろん減量にも一切妥協することのないヤンの姿に、私をはじめ多くの会員が影響を受けていた。それだけに彼の帰国は心から寂しかった。特にトレーニングパートナーを組んでいた猛や大川ならなおさら寂しかったことだろう。
 酒を飲めばプロの格闘家とケンカをしたり、トレーニングするときは鬼のようだったり、そのくせ普段の笑顔は子供みたいだったり(思えば子供たちはみんなヤンになついていた)。不思議な魅力のある男だった。
 ヤンは日本を離れる数日前にビデオカメラを片手にメンバーやGYMの中を撮影していた・・・「ここが私の好きなPOWER GATEです」と言いながら。もうここでトレーニングすることはないだろう・・・会員としてここに戻ることはないだろう。そう思うと、ヤンのするしぐさすべてが悲しそうに見えた。
 日本に来て嫌な思い出もあったようだが、「GYMはいいです、みんな仲間だから」と言っていた(大会になると平気で敵だと言うけどね)。短かったが私のGYMで一時代を築いた選手だったと思う。「本当に厳しいトレーニング」それを教えてくれたのは遠く韓国にいるヤンヨンスーだった。
 ヤンの長女「そらちゃん」が生まれたときにいただいた掛け時計は、今でもGYMの中で時を刻んでいる。
・・・ヤン、韓国海苔まだ届いてないぞ(笑)
ヤンと私200409ヤン・ヨンスーと私200409(ヤンお気に入りの写真だ)

であってくれて ありがとう
| 筋肉への目覚め | 18:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ナショナルズ再挑戦は轟沈・・・でもやること山積み
 2004年、このころになると仕事が忙しいのは当たり前になっていたし、ヤンと大川がノービスクラスに出場を決めていたのもあったので、再度ナショナルズに挑戦することにした(もちろん生涯現役)。
 ヤンはJPC関東大会と東北・北海道選手権で見事優勝を飾った。このときのヤンの仕上がりは、東北・北海道の際にゲストで来ていた宮野選手(プロビルダー)も驚くほどで、全身の脂肪がほとんど「ゼロ」。その上一つ一つの筋肉の盛りあがりは迫力があり、軽量級とは思えない迫力だった(ついに韓国の獅子が吠えた)。ステージでの表現力にも長けていてスター性十分だ(開場では韓流ブームも手伝ってか「ヤン様」の掛け声が飛んだらしい)。ノービスでも上位6人に食い込んだ。また、大川も全身の筋量を増した上に、ヤンとトレーニングパートナーを組んだことで仕上がりがよくなっている・・・ビッグ大川の誕生だ。彼もそれぞれの大会で好成績をおさめ、ノービスでも決勝に残り、その存在を十分に示していた。
 一方、私は過去最高の仕上がり(私的には)でナショナルズに挑んだにも関わらず、バルク(筋量)もカットも不足でまたもや予選落ちにの憂き目にあう。このナショナルズ予選通過は現在でも私にとって高い壁となっている(いつかきっと・・・諦めるの苦手ですから)
 悔しい気持が全身を包み込んでいたが、そんな感傷に浸っている暇などなかった。というのも、翌年(2005)は青森の上澤さんがJPC東日本を開催するということで、JPC東北・北海道ボディビル選手権を私が開催するということになったからだ(というか喜んで承諾しただろ)。
 本格的な大会の開催!翌年の準備に早くも取り掛かる(筋肉の神様は私を休ませてはくれない・・・きっと女神だからだろう)
負けても下を見ないで前を見ろ
| 筋肉への目覚め | 18:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
健康教室も開催
 私は会員の直行と一緒に2002から3年間ほど鶴岡市のコミュニティーセンターを会場に健康教室を開いていた。
 これは、職場の仕事(広報)で知り合った農家民宿「母屋」の小野寺さんから、「私の地域のお母さんたちに健康体操などを教えてほしい」と言われたことがきっかけだった。
GYMで指導するのと、一般の人たち(それも集団)に指導するのとでは勝手が違う。どうやったら楽しくトレーニングしてもらえるのか、どうやったら限られた回数で効果を上げることができるのか・・・軽くストレッチを行ってから、ダンベルや自重を利用しての運動を約1時間。その後、運動や食事についてのQ&Aをしてから解散というパターンを基本に、修正に修正を重ねてきた。第1回目の開催から数えて何度直行と打ち合わせをしたかわからない。
 最初はとてもぎこちないものだったと記憶している(もちろんトークも)。それでも生徒さんたちのご指導よろしく(生徒さんたちから学んだことは多い)回を重ねていくうちに、20人を超える人数でも二人で十分対応できるようになるものだった(私自身楽しめるようになっていた)。このころになると参加者からの希望で月1回の開催から第2第4日曜の夜に開催するようになる。
 ここで得た経験は私の大切な財産になっていて、例えば、トレーニングフォームをよりわかりやすく説明する方法や配置、フォームが間違っているときの修正の仕方、一般の人たちが行いやすい運動のテンポ、そして何より筋トレを楽しいと思ってもらえるような運動の伝え方(お笑いは欠かせない)・・・これらは、この体験なくして身に着くことはなかったと思う。
 この財産は、現在でも年数回依頼される集落や団体等の健康教室の際に活かされている。

 きっかけをつくってくれた小野寺さんはもちろん、3年間お付き合いくださった生徒さん、そして直行にも心から感謝。
 その後、仕事やGYMが忙しくなり休校になったままだが、いつかまた再開したいというのも私の大切な夢です。
健康教室の一コマ真剣なまなざしで説明を聞いてくれる彼女たち(歳がそんなに違わないのだ)

自分に正直な努力を重ねる
| 筋肉への目覚め | 16:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
GYMコンテスト開催(その参)
 大会当日、会場に着き大会の準備開始。テーブルや椅子の設置にはじまり、映像機器のセッティング、照明の確認、ビールの冷え具合の確認(これは直接飲むしかない)・・・親戚や元GYM会員の協力はありがたかった。もちろん選手たちも手伝ってくれた(集合時間を守れない人が多かったが)。後は開場時間を待つだけだ。
 ついに開場時間(になってしまった)・・・お客さんがぞろぞろ入ってきてくださる。数えてみると100人近く(感激)。
 来場者の多くは会員の家族や友人たちのようだった(テーブル毎に座っていく。まるで結婚式だ)。ところどころで親族紹介のように挨拶が交わされていた。そんな中、私は開始の準備や確認を行っているのだが、「うちの○○がいつもお世話になっています」「いえいえこちらこそ。今日はようこそ」「私、○○の母です」「あぁ・・・どうも」・・・本当に普段着(タンクトップ)の結婚式のようだった(私がマイクを持ていことに誰も気付いてくれない)。
 そのころ選手は8畳間もないような狭いところでビルパン装着(着る物が少なくて助かる)。ボディビル競技でなければ10人近い選手が着替えることは不可能だっただろう。
選手が入場するまで、過去のJPCノービスクラスやナショナルズのVTRを上映。観客ははじめて観るボディビルの映像に驚いていた。
 ついに選手入場!!選手は来場者の後方からジャンバーを着て登場する(のっけから裸で登場するのには抵抗があったのだ)。一人一人ステージに上り、全員が揃うと開場から大きな拍手が贈られた。朝日村でボディビル大会が開催された歴史的瞬間だった。選手は一旦控室に戻りジャンバーを脱ぎ捨て再度入場。会場からため息というか感嘆の声が上がっていた(驚きのあまり失笑も少し)。
 ボディビルという一般社会では不可解と思える世界に入ってしまった夫や息子に声援が飛ぶ。これで少しは家族の理解を得ることができればいいのだが。
 比較審査では盛りあがりもイマイチだったが、ポーズダウン(選手が自由にポーズをとる)に入った途端、会場は大盛りあがり!!選手はステージから降り観客席へ・・・テーブルの上でポーズをとっている選手がいる(あんたはダンサーか)、観客に挨拶したり握手している選手がいる(ポーズをとれポーズを)、中には観客からビールをすすめられ、恐縮しながら飲んでいる選手もいる(腹冷えるぞ・・・裸なんだから)。
 この日司会を引き受けてくれた会員の田中君(彼はプロのドラマー)が「選手に餌を与えないでください。選手に餌を・・・」と言っているが・・・止まらない(笑)。
 休憩時間には田中君のドラムの演奏。素人の私が彼を評価するのは恐縮だが「凄い」の一言だった。観客もあまりの演奏に静まり返る・・・御見事。
 成績発表・・・POWER GATEのジムコン優勝第一号はヤン・ヨンスー!仕上がりもポーズのテクニックも見事だった。
 大会を終えると観客とのパーティーに入る。選手も減量から解放され、家族や友人と談笑しながらビールを飲みまくっていた(バンバンやってくれ)。
 そういえば、娘の担任の先生(藤原則香似)が入口の扉からず〜っと大会を覗いていたなぁ(後日話しを聞くと会議中だったらしい)
 選手や来場者が口々に「楽しかった」と言ってくれたし、これからも楽しみにしていると言っていた・・・(真(ま)に受けてみよう)
 はじめての大会開催・・・いろいろあったが、みんなの笑い顔を見ていると全部楽しい思い出になっていく。今までの諸々の出来事に感謝・・・その夜、檻から解き放たれた野獣が牙を剥く事件があったが・・・
会場は大騒ぎポーズダウンの一コマ・・・場内は大騒ぎ(携帯で写真を取りまくる女性たち)
ステージも大騒ぎステージでポーズを繰り広げる選手たち(嬉しそうだ)

観客の表情はじめてボディビルを観る観客の反応(喉も渇くでしょう・・・飲んでください思い切り)

人の期待を真に受けたい
| 筋肉への目覚め | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
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